初めまして。 AMENEWの代表のERIです。
- 2020年04月17日
- ロサンゼルス
Writer: ERI
初めまして。AMENEWの代表のERIです。
世界に数えきれないメディアがある中で、このサイトにたどり着いてもらってこの記事を読んでいただいていることに感謝します。ありがとうございます。
これから記事を書いていく前に今回は自己紹介をさせてもらいますね。
関西で大学まで育ち、京都の大学、経営学を卒業後、 大手上場企業に就職し、数少ない女性営業として総合職で勤務。
病気を機に人生を考え直し、仕事を辞めて、NLP,メンタルトレーナー、カウンセリングのライセンスを取得し、その後、ずっとしたかった語学留学でアメリカハワイへ。
3ヶ月の留学期間の予定で渡米したのが、いつしかアメリカで働きたい!に変わり、ハワイを抜け出し、アメリカ本土にスーツケース2個だけを持ってアメリカの本土に降り立ちました。
そして、訪れたサンディエゴでビビビと感じ、再び大学へ。
卒業後、就労ビザをゲットした私は、大好きなサンディエゴを離れたくないと思うものの、今後の自分の為に!ビザのために!と、大きい街LAを選びました。
人生二度目の就職だったので、 私が心から求めているものは何か?とずっと考えていました。
その当時、アメリカでビジネスをすると決めていた私は、ビジネスするまでに人脈作りと、アメリカでのビジネスの成功、不成功を勉強させてもらいたいと思いました。以前働いていた会社はモノ売りの会社だったので、それではなく、お客様と一緒にモノをクリエイトしたいという理由で、広告の営業をすることにしました。
当初決めていた「3年でやめて起業する」という意思は固く、ビザの準備がやっと整った段階で退職。
起業をしました。
収入がゼロの状態で、退職、起業した私。
MBAの学校に行きながら、起業をしたので、時間もない!お金もない!という悲惨な毎日でした。本当に余裕がなくて、何度も一人で泣いていたのを覚えています。
ビジネス立ち上げ当初は、朝起きてから、寝るまで目が開いているだけ、ひたすら、仕事。夢を見たら、全て悪夢。
起業一年目は、友達に誘われた音楽イベント、$20のチケットも買えないくらいビジネスがどん底になった時期。屈辱、貧困時代を送りました。
今から思うと、相当リスキ−なことをしたと思いますが、一度病気によってある意味「死」と向き合った私にとって「ビジネス失敗しても死にはしーひんやろう」というのが私の中での合言葉でした。
そして、自分の力で8年かけてグリーンカードを取得しました。どうしても手に入れたいと思っていたものを、色々な困難を乗り越えてつかみ取ったグリーンカード。
人生で一番感動する嬉し涙を流したのは一生忘れません。
そんな怒涛の日々も、ひたすら諦めない精神でやり続けて今はアメリカから様々なビジネスを展開しています。
常に、現状維持ではなく、常に新しいビジネスをクリエイトしたいと思っていて、毎年新しい事業を展開しています。その事業が社会の為になったり、私が知らないところで誰かが笑顔になってくれていたらいいなぁと心から思っています。
プライベートでは、旅行が好きで、死ぬまでにできるだけ数多くの世界を見たいと思っています。一番最初、ビジネスの内容を決めるのも「ノマドライフ」を送れるかどうか、旅行にパソコン一つで行けるビジネスかどうかを軸に選んで始めました。
アウトドアも好きで、ジェットスキー、車遊び、スノーボード、バギー、ゴルフ、釣りなど新しいことに挑戦することが好きなので、その内容なども記事にしていければな、と思っています。また、女性には珍しく(?)無類の車好きなので、よく車のイベントに行き、興奮しています(笑)
また、アメリカの最先端の美容系の施術も試してみることが趣味の一つでもあるので、その体験記なども皆さまにお伝えできればなと思っています。
このメディアがどうか、皆様にとってワクワクする場所であり、そして沢山のハッピーをお届けできる場所でりますように。